栄華を極めた幻の魚、ニシンの復活
1897年、北海道において97万トンの漁獲量をピークに次第に減少し、1950年代後半には幻の魚と呼ばれるまでになったニシン。ニシン漁は明治時代、小樽の経済基盤を築いたと言われるほど大規模な産業で、人を集め、町を栄えさせた歴史を持ちます。また、全盛期(明治時代)に建築された「にしん御殿(旧 青山別邸)」は現在も小樽市に残り、その贅を尽くした建築は国の登録有形文化財にも指定されています。
幻の魚となる直前の1953年でさえ、石狩振興局管内における漁獲の87%はニシンが占め、後の劇的な漁獲量の減少は人々の生活に甚大な影響を与えました。そのため地域では漁業の再繁栄が強く望まれ、1996年、石狩振興局はニシンの資源増大対策の一環として、16万尾の稚魚放流を実施しました。これを筆頭に、現在では北海道内の各地区で年間200万尾以上の稚魚が放流されています。
こうした努力が実り、近年は約半世紀以来の群来(くき)(ニシンが大群で産卵することによって、雄の精子で海が白く濁る現象)がもたらされるまでになりました。しかし、年による水揚量の変動はまだ大きく、漁師は資源を枯渇させた歴史を繰り返さないため、漁獲規制による資源保護にも力を注いでいます。
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